敵は内側にあり

2010年12月01日

最近生きることが少し楽になるような気づきがあったのでちょっと書いてみようと思います。生きることがとか書いたけどそんなに大げさじゃないよ。

ただ、多分人類の75%くらいには何の意味もない話だと思います。人の目が気になる人とかネガティブな人とかはもしかしたら「ほほぉ」と思うようなことがあるかもしれませんが大抵の人には読む必要のない話だと思ってるので、読んでつまんなくても怒らないで下さいね。

人と違うことをするのは恥ずかしい

僕は上に書いたとおり人の目が気になる人でネガティブな人です。残念ながらネガティブはなかなか克服できませんね。

ただしネガティブって別に悪いことばかりじゃないと思ってるので直さないといけないなとまでは思ってません。ネガティブサイコー。うそです。ポジティブにあこがれます。

さておき、そんな人間なのであまり人がやらないようなことをやろうとした時、周りの目が気になって気になってしょうがないんです。

やりたいけど気になってでもやりたいけど気になって、結局やらなかったって事が多々あります。例えばサングラスとかかけたいんですけど「何カッコつけてんの?」って思われるのが怖くてなかなかかけられません。

気にしてない、みんな気にしてないよ

でもついこないだふと気づいたんですよね、

人は僕が思ってるほど僕に興味を持っていない

という事に。

何でこんなに寂しい文面になるんでしょうか。僕としては真理にたどり着いたような驚きがあったんですが、文字にしてみると寂しい子にしか見えません。

そうです、

みんなお前なんか見てない

です。

やっぱり寂しい感じしかしませんね。文字だけ見ると涙が出そうになりますがここはぐっと堪えるべきかと思いますので続けます。

別に誰が何やってようが普通はそんな事気にしないんですよね。逆の立場だったらどうかを考えたらすぐ分かることです。電車で隣に座っている人がいきなり歌いだしたとしても「え?なに?」と思うものの、すぐイヤフォンして気にしなくなりますよね。

そう、気にしないんです。だからやりたいことやればいいよね。もちろん一般的に考えて人に不愉快な思いをさせない事は前提として、ですけどね。

そう思えたから僕は電車の中でキーボードだして何か書くことも抵抗なくできるようになったし歩いているときも自転車漕いでる時も平気で(大声ではないけど)歌うようにもなったしね。

自分が思う「他人」は結局「自分」です

人と違うことをするのって結構抵抗ある事だと思うんだけど、そういう時は逆だったらどうかを考えると良いかもね。

「笑われるかも」
「変な人だと思われる」

そう思ってるのは自分ですから。自分の中にいる他人ですから。自分の中にいる他人が考えたことってのは結局自分が考えるんだから自分がやる事に対して興味を持つんだけど、本当の他人は自分じゃないんだから特に興味を持たないよ。だって他人だもん。

ややこしくなってきたけど、言いたいことは「気にせず自分のやりたいことをやればいい」です。何度も言うけど常識の範囲内だけどね。人に迷惑をかけることは、ダメですけどね。

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