裁判員制度ってどんな意図でやっているんでしょうか
2010年11月18日
最近テレビで見て知っただけで何も詳しいことは分からない僕ですが、それでも思うところはあるのです。裁判員制度ってどうして出来たんだろうってこと。
僕が見たテレビ番組では「裁判員制度で裁判員として裁判に出席して死刑判決を下し、その後に自分の下した判断が正しかったのか悪かったのかで悩む人が増えている。だからそういう人の心のケアが大事だという人が増えた」って感じの内容でした。
え?そんなの分かってた事なんじゃないの?人が人を裁くってそういうことでしょ?
人は普通、人を裁けないから無責任に「こんな人間は死刑にするべきだ!」って言えると思うんだよね。本当に自分の一言で、人が死刑になるんだったらそんなに簡単に死刑なんて言えない。
八神月だって世界のためだと思ってノートに犯罪者の名前を書いていたのに一週間で4キロもやせるほどのストレスだったしね。新世界の神になりそうなほどの人間でもそうなんだ、普通の人間は普通じゃいられない。
制度とか法律とかを決めるのってもの凄く多くの人間が関わって決めるんでしょ?そしたらきっと出てきてるよね?裁判員になって死刑の判決を出した人の精神についての懸念とか。
勝手に出てたと仮定して進めますが、それでも裁判員制度を進めたのは何故なんだろうね。
「死ね」「殺す」って言葉が何故か日常会話の中に平気で見られるようなこんな世の中じゃ(ポイズン)、本当に人の命が消えるって事の重さが分からなくなる。だからそれを分かってもらうためにやってるの?
裁判の判決に不平不満がいっぱい出てるから「じゃあお前等が決めろよ」的なノリなの?そしてそれを盾にして「民意で決めてる」って言いたいの?
答えなんて知らないし聞いたら教えてくれるとも思わないし調べても本当の理由が分かるなんて思ってないけど、僕が考えて行動できることは限られてると思うんだ。
これらを踏まえて
簡単に死ねとか言わない
これはもう日常会話で気をつけないといけない事だよね。「あなたは一度死ぬと良いと思いますよ」ってまじめに言うと本気っぽいから誰もそんな言い方はしないだろうけど「あはは、お前死ねよ」ってかるーく言うと本気だとは誰も思わないから問題ないような空気があるよね。
それを許さない。少なくとも自分は。言葉の意味をちゃんと考えて発する人間でいたいね。
文句ばっかり言わない
主張することは良いことだと思うけど、何の責任も負わずに不平不満を言うだけの人間にはならないようにしないとね。
まぁデスノートの話が例に出るような子が言っても説得力はないかもしれませんがね。でも簡単なことだ式をつけるだけで出来ることだからせめて「死ね」って言葉が普通に出ない世の中になって欲しいなぁ。
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