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体験と情報の情報量・密度の違い

2009年01月26日

ある2chのまとめサイトを見ていたのです。それはお笑い芸人「トータルテンボス」のいつものネタ(ネタなのか?あれは)の「しのびねぇな」「構わんよ」を使ってみんなで遊んでるスレだったんだけど、そこでちょっと面白い出来事が起こったんです。

そのスレでは凄くいっぱい「しのびねぇな」って言葉が使われていて、それをずっと見ていると僕はいつの間にか「しのびねぇって何だ?何か意味不明じゃない?しのび、ねぇ。何がないんだ?しのびがか?ん?」って思うようになった。こういうのを何用語か知らないけど「ゲシュタルト崩壊」と言う。

あぁもう説明が難しいなぁ。思考の具現化ってこうも難しいのか。

何だかね、同じ単語を何回も何回も見ていると、その言葉の意味が分からなくなる感じ。うん、それはゲシュタルト崩壊の説明だね。僕の身に起きた現象も同じだから確かにこの説明であってるんだけど、その説明じゃ絶対伝わらないんだよなぁ。だって僕が初めてゲシュタルト崩壊の説明を読んだ時は意味が分かんなかったもん。

意味が分からなかったというか、それがどういう事なのかが肌で理解できなかったって感じ。言ってる事は分かるけど本当にそんな事が起きるとは全然思えない、と言う方が適切かな。

だって、「今までちゃんと理解していた言葉の意味がいきなり分からなくなる」んですよ?分かんなくね?分かんないよね。でも、実際にそういう状況に置かれたら確かにそうだった。理解できた。

以前に「経験と経験を文章で読む」事は全然別の事なんだなと書いた事があると思うけど、今回の出来事はその事を証明する結果になった。いや、人に説明できない時点で証明とは言えないんだけどね。

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